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昭和30(1955)年10月撮影。安くなったとはいえ洗濯機の価格は大学卒の初任給約1万3000円の2ヵ月分もした。庶民にはまだ高嶺の花とあって洗濯機を貸す商売が繁盛し、駄菓子屋さんも仲間入り。使用料は1回10円。買い物に来た女の子も手回し式の絞り器が気になる様子だ。 

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(上)ホームの隣の棚に多数のサボが整然と置かれていた。昭和61(1986)年7月、予讃線の松山駅で、撮影。

(下)客車の側面中央に「遠賀川⇔室木」と記したサボが下がっている。昭和56年7月、室木線の室木駅で、撮影。

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思えば、こともあろうに峠越え区間の頂点に長大トンネルが横たわり、蒸気機関車の苦闘が語り草となっているところがあちらこちらにある。山口線の田代トンネル(本シリーズ第29号参照)、関西本線の加太トンネル(同15号参照)、柳ケ瀬線の柳ケ瀬トンネル(同66号参照)、篠ノ井線の冠着トンネル(同28号参照)。これらのトンネルで、汽車の行きかいは、乗務員の窒息事故、乗客の”煙被害”と背中合わせだった。

人吉駅方面行きの汽車は、矢岳トンネルを抜け出てすぐ県境を越えて熊本県に入る。ようやく上り勾配は終わり、給水ポイントの矢岳駅は目の前である。

そして、この先は大竹駅へ向かって坂道を下るばかり。25.0パーミルが約1.5km、その後30.3パーミルが約4kmにわたって続く。まもなく大畑駅という頃、すこし右へカーブした大きな築堤の上に出る(上の写真参照)。左の車窓からはるかに望む町は人吉市。その盆地の向こうに、子守唄で知られる五木村に続く山地--。ここも絶景区間だったが、今日、樹木が繁って見通しはきかなくなっている。

肥薩線の人吉駅~吉松駅間からD51形が消えたのは昭和47年4月4日のことだった。

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